呉(十国)とは

創始者・楊行密は廬州合肥(現在の安徽省合肥市)の人で、唐末の混乱の中で初めは群盗から軍に入り、無頼の徒を糾合して故郷の廬州を占領し、唐の懐柔策により廬州刺史となった。その後も周辺地域を切り取り、892年には揚州を占領して淮南節度使になる。更に長江を遡って中流域をも抑え、一大勢力圏を築いた。その後、南下する朱全忠(この時はまだ後梁を建てていない)と抗争し、淮河の線を確保し、浙江に拠った呉越と蘇州を巡って争うが、これには敗北して蘇州は呉越のものとなった。これらの勢力を持って902年に唐より呉王に封ぜられる。楊行密は自立はしたもののあくまで唐の臣下としての立場を貫いており、死ぬまで唐の元号を用い続けた。楊行密の力の源が群盗勢力や唐の残存兵を集めて編成した黒雲都(こくうんと)と呼ばれる親衛軍団である。この軍は全て黒い鎧をつけたことからこの名前がある。この軍を持って反対勢力の駆逐を行っていたが、しかしこの軍団に頼りすぎた結果、黒雲都の指揮官である徐温(じょおん)と張顥(ちょうこう、顥は景編に頁)が実権を握るようになる。905年に楊行密が死去すると、長男の楊渥が擁立される。
update:2009年09月12日