徳川大坂城

落城に際して灰燼に帰した大坂城は初め家康の外孫松平忠明に与えられたが、1619年に幕府直轄領に編入された。

翌1620年から2代将軍徳川秀忠によって大坂城の再建が始められ、3期にわたる工事を経て1629年に完成した。

徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、全体に数メートルの盛り土をした上により高く石垣を積んだので、豊臣大阪城の遺構は地中に埋もれた。

天守の構造も全く作り変えられた。徳川氏の大坂城は、城郭の広さは豊臣時代の4分の1の規模になったが、天守は豊臣氏のものとは位置も変え、総床面積から高さまで豊臣氏の天守を越えるものが上げられた。

大坂城をより豪壮な城郭として全く新しく築くことで、豊臣氏の記憶を封じ込め、かつての豊臣氏の勢威を凌駕する徳川氏の威信を日本全国に示そうとしたものといわれている。
update:2010年02月26日